鉄道の日記念切符

 私と鉄道とのかかわりは薄く、どこへ行くにも車かバイクを利用してきた。が、ここんとこ東京・大阪への出張が増え、電車を利用することが増えてきた。根が名古屋人のため無形のものにお金を出し渋る習性がある(自身は一般の名古屋人よりは無形の財に対してよほど価値を認めていると自負しているのだが)のに加え、いま自分の所有する車およびバイクが「操縦して楽しい」タイプでなくなったこと、学生時代「青春18切符」なるものの存在さえ知らずに生きてきたことを取り返そうという気持ち、などなどがあって、最近安い電車も気に入っている。で、先月東京出張があったので、たまたま見つけた「鉄道の日記念全線乗り放題切符」なるものを買ってみた。3日間何度乗り降りしても9180円という、大変お買い得な切符である。ただし使用できる期間は10月5日から20日までであり、急行以上に乗った場合には差額のみでなく根っこから料金の請求を受けるという、実際には結構厳しいものがある。

 2日は東京往復で使うから、あと1日分をどうしようかということで、25年ぶりに飯田線に乗ってみることにした。最初は何度か下車するつもりだったが、どうやら不可能なことがわかった(次の電車が来るまでに2時間ある)ため、下車駅を一つに定めることにする。このとき、たもと千代さんの
「魅力発見・飯田線」が大変参考になった。参考書というよりは教科書のように読ませていただいた。で、とりあえずは「小和田駅に決め、2万5千分の1地図を買ってきた。電車の旅でも、いいのか悪いのか山歩きと気分は大して変わらない。地図を2日間ほど持ち歩き、仕事の合間に暇を見てはルートを考え、隣の中井侍駅まで歩こうと決めたのだが、結局途中の吊橋が崩壊していることに気づき、計画変更して平岡駅で降り廃線跡を歩くこととした。(注:小和田駅は雅子さんで有名になった駅だが、駅前に車の乗り入れができず、直近の民家まで15分もあるという無人駅である。)

旧線跡にかかる吊橋


旧要津第1トンネル。水位が上がった影響で、半月型になっている。よく見えないかもしれないけど、出口はオーバルになっているのが見える。


もう一つ先の旧要津第2トンネルを抜けると
新線の線路脇に出てしまってこれ以上進めない。



天竜峡
 当日は豊橋まで快速で行き、しばらく待って飯田線に乗車。扉を自分で開けて降りるシステムは25年前と同じだが、車両は少し綺麗になったのだろうか。2両しかないのも同じだ。当分は町の中を走る。5分に1回くらい停車する。意外に乗り降りする客がいる。運転手も車掌も忙しい。線路は151号線につるんで走っているので、「あ、あそこだ」とわかったりして楽しい。
 豊橋から1時間半ほどで静岡県に入る。まもなく天竜川と出会うが、佐久間ダムを迂回して水窪の町を通る。迂回のため、長いトンネルが2つあるが、その間に名物「S字鉄橋」がある。予習していったため、あ、これこれとわかり、うれしい。このあたりに来ると車窓の景色は思い切り旅行気分だ。

 大嵐(おおぞれ)駅には、さっきの臨時列車で来たのであろう、富山村へ向かう大勢の人がいる。この日はダムによって村を離れた人たちが3年に1度集まる日だそうだ。(この人たちに帰りの電車で一緒になるが、最寄の遊び場は水窪だそうだ。思いつかなかったが、なるほどねという感じである。)
 線路は再び天竜川に戻り、斜面に張り付くように線路が走る。その地形も窓にくっついて見ないとわからない。そして目指す平岡駅で下車。10分も歩くと、新旧の十方峡トンネルに到着。旧線トンネル入り口の角度と手前のトンネル出口の角度が照合していて、ここが繋がっていたことがよくわかる。旧線トンネルは国道418号線のトンネルに使われているが、片側交互通行である。やはり具合が悪いらしく、河川側に新しいトンネルを掘っている。トンネルの外側に旧道があり、多分この工事がなければ、片側はトンネル、片側は旧道を使っていたと思われる。
 トンネル内はオレンジのライトがあるがところどころ真っ暗である。歩道はない。途中でカーブしていて出口が見えない。足元は砂が堆積していて気味が悪い。そして背後から近づく車の音が反響して、怖い。懐中電灯を持ってこなかったことを悔やんだ。おそらく5分とかかっていないと思うが、はねられるかもしれないという恐怖との戦いだった。
 トンネルを出たところは昔「遠山口」の駅があったところ。線路は鉄橋を渡るが、これも付け替えられていて、旧線跡は人が渡るだけの吊橋になっている。鉄製だから大丈夫だとは思っても、天竜川を渡るので、かなりのスリルだ。渡ったところには左の写真のトンネルと、もう一つ先にトンネルがあり、2つのトンネルをくぐると新線の線路脇に出る。左手はダム湖になっていて、湖面が間近である。手前には廃屋があり、日当たりも悪くなく、隠れ家的雰囲気はある。ただ、それまでにずいぶん肝を冷やしてしまった私には落ち着いて楽しめる場所ではなく、早々に引き上げてしまった。
 平岡探索があっという間に終わってしまったので、もう一駅降りてみることにし、駅員と相談。懇切丁寧な対応である。天竜峡に決める。このときミニ時刻表をもらう。無料だ。これからもこうすれば手に入るのだろうか。
  天竜峡は
観光地だ。人も多い。しかしさすがに景色はよい。もう少し木々が色づくとさらにいいだろうなという感じだった。(2002年10月13日:乗車距離370.6km)
 切符の2日目は東京出張。東海道本線を、普通と快速で行く。これは非常に連絡がよくて、降りると次の列車が待っているという状態で、金山から東京まで5時間半だった。問題点としてはトイレのある車両は使われておらず、5時間半我慢したということだ。また、結構混んでいる。スケジュールがタイトでなければ食事の時間をとればよかった。高田馬場と赤羽で用を足し、横浜まで行って私鉄に乗り換える。(10月18日:乗車距離431.7km)

 切符の3日目は、菊名から横浜線で八王子。中央本線に乗り換えるが、高尾止まり。続く列車で甲府まで行き、身延線に乗ってみることにする。2両編成のワンマンカーだ。曇っていて富士山は見えない。生活のための電車という印象を受ける。鰍沢口止まり。ここから先が山になりそうなのだけれど、帰りの電車を考えて諦める。下り電車を20分待ったのだが、今乗ってきた車両がそのまま引き返すのであった。甲府から再び中央本線で塩尻まで。ここで1時間待ちとなったため駅前探索。居酒屋へ入る。木曽ではこういう店でも馬刺しがあるのだなあと感心したりするも、注文してはみなかった。あとは一直線で鶴舞まで戻る。土曜日7時過ぎの電車は、愛知県に入ると若者ばかりとなり、車内で携帯電話の会話は愚か、音楽を鳴らしたりしている輩もいたりして無法地帯と化した。(10月19日:乗車距離424.9km)

 3日分で乗った距離は合計1227.2km。意外なことに、車で行くのと時間もお金(ガソリン代)も大差ない、という結論を出すところが、にわか鉄道マニアたる所以である。