身延線の旅

 富士宮で仕事である。新幹線を使えば2時間半だが、仕事は夕方からである。そこで先回果たせなかった身延線の旅をしてみることにした。
 中央線は多治見までは快速だがその先は普通になる。中津川で乗換え。松本行きの普通電車。背もたれ部分が直角の4人がけシートの並ぶ古い車両である。ドアは「半自動」であると車内アナウンスがある。降りるときは手動である。飯田線以外でこの形式を見たのは初めてだったが、冬場は皆そうなのだと今回の旅でわかった。

 上松あたりから雪になる。粉雪。このあたりの駅のホームはすべて地面を渡る作りではなく跨線橋が掛けられているが、雪のためなのだろうと想像する。どうでもいい話かもしれないが、ホームに「名古屋・中津川方面はこのこ線橋を渡って反対側のホームへ行ってください」と看板がある。我々は跨線橋という言葉を知らなくても、あるいは読めなくても、その指し示すものは理解できる。だから漢字で書いてほしい。「跨」を漢字にしないのは、恐らく鉄道関係者には「跨線橋」という言葉がよく使われており、親切のつもりなのだろうが、あまり意味がない。そこまで考えたのであればぜひとも漢字にルビを振ってほしい。

 乗客の大半は松本まで乗っていきそうだ。「雪を落とすには合掌造りみたいな屋根がいいと思うけど、どの家も屋根の勾配が緩いね」という会話が聞こえてくる。木曽の家の屋根は勾配が緩い。つまの角度は150度くらいである。昔小学校の社会の教科書に、板葺きの屋根に石を載せた、木曽の家が描かれていた。雪はあまり降らないが風が強いというような説明だったと記憶している。新しい家はその必要がなくても同じスタイルを守っているのだろう。
 塩尻近くなったら晴れた。葉を落とした葡萄の棚が雪の上に続いている。
 塩尻で甲府行きに乗り換え。乗降客はかなり多い。この列車はドアが2枚のうち1枚だけ自動で開き、もう一方は開けたければ手動である。途中「すずらんのさと」という駅があったが、あれは地名なのだろうか。韮崎あたりでは八ヶ岳であろうか、美しい稜線が車窓を楽しませてくれる。
 甲府着。ここまで約5時間半。
 身延線は、これまた古い車両である。一昔前よく見かけた緑とオレンジの車両。この間乗ったワンマンカーは確かアルミボディだったが、落差が激しい。走り出すときにドコドコと揺れ、その後きしきしいいながら走る。
 鰍沢口を過ぎると、富士川の上流であろうか、蛇行する川に沿って走る。山がすぐそこなのに民家はどこまでも続いている。途中2箇所、10人ほどの小学生が乗ってきては次の駅で降りていく。小学生の電車通学は名古屋市内では「越境」または「付属」の子しか見ないので珍しく感じる。高校生も甲府の町の中から乗っている。そういえば中学生はいない。自転車通学なのだろうか。

 この間乗車したときも思ったのだが、この路線は(特に折り返し地点までは)この電車に乗るのが日課の人の割合が多いのだろうなあと思う。生活のための電車という感じ。ある駅で私と同年輩らしき女性が向いの席に乗ってきて、先から乗っていたやはり同年輩の男性と、シート越しに話を始めた。シート越しというのは、女性の席は車窓を背にしており、男性の席は車窓と直角に背もたれがついている対面の4人席で、4人席にはその男性1人だから席を移動すればいいようなものなのに、その背もたれをはさんで伸びをするように話しているのである。話題は仕事があるか、娘がどうした、といった世間話なのだが、二人の様子を見ていて、この人たちはお互いに恋心を抱いているのではなどと考えていた。女性が降りていった後、男性はシートから乗り出したまま長い間目だけで彼女を追っていた。・・・・・・こんなふうに私は車窓の風景と住んでいる人間との両方に関心があるのだ。電車の中の人間も風景の一部のように見ている。風土が、すべてではないにせよ人間を作ると思うからだ。
 身延あたりで川は中流の趣になる。やはり蛇行しているが川幅は広くなる。
 身延線を路線図で見ると車窓からずっと富士山が見えるように思うのだが、短絡に過ぎた。富士山が見えるのは静岡県に入ってからである。それまでは富士山の手前に山が連なっていてまったく見えない。最初に一瞬見えるのは芝川の少し手前で、山が途切れて川が流れているところである。左側の車窓に大きな富士が一瞬現れる。後で聞いた話によるともう一箇所あるらしいがどこかは定かでない。
 ちなみにこの山々は、新緑の頃に行くとすばらしいそうである。
 
 西富士宮が近づくと富士は急に進行方向に現れ、感動的である。このあたりで線路の向きが変わるからなのだが、線路のカーブによって富士が右に見えたり左に見えたりしカメラを持って走っても追いつかない。
 一人ではしゃいでいるが、地元の人は眠っていたりする。というまに目的地である西富士宮到着。甲府から2時間であった。
 富士宮では「山下」(26−8060)という定食屋さんで晩ご飯。食べたのはいかの一夜干しなのだが、おいしかった。隣で魚屋さんをやっており、中でつながっている。冷蔵庫は魚屋という感じであろうか。なにより、ぴかぴかに拭きあげられたグラスに感心した。酒は富士錦の生酒。山下のラベルである。さらさらの味で、別に根拠はないが静岡らしいと思った。
 別の店では富士錦の燗を飲んでみた。さっきのとは別のお酒みたいだ。もう少し力がある。
 富士宮2日目。仕事は夕方のみであるため、浅間大社へ行ってみた。特別天然記念物である湧玉池(わくたまのいけ)の水は澄んでいる。富士の溶岩で濾過された清水である。飲んでみたい気もしたが、鴨の夫婦が何組もいたのでやめた。
 池の水の元である富士山の雪は、ここ暫くの暖かさで解けたという。あるタクシーの運転手は、あれは解けたのではなく「舞った」のだと言っていたが、別の運転手は舞うのは低いところの雪で、やはり解けたのだと言う。真偽は定かでない。
 夕方の富士は雪のないところもピンクに染まり美しかった。冬の富士がいちばん美しいという。
 身延線の残りは、帰りに乗った。通勤通学帰りの時間帯である。窓の外には富士山が見えているのかもしれないが夜である。山梨県内では訛りを採集できなかったが、静岡県の高校生の女の子たちは「らぁ」である。三河弁も同系列だ。なんだか、かわいらしかった。(2003年1月)
 一週間後、富士から西富士宮まで身延線に乗る。なんと一両だけである。乗客のほとんどは学生、大半は富士で乗って富士宮で降りていった。ほとんど切れ間なく富士山が見えている。空は曇っているが富士山はくっきりだ。雲が高いところにあるのだろうか。ただし夕方のピンクの富士は見られそうもない。
 今回のお泊りは割烹旅館小川荘である。広い部屋で懐石。極楽である。お酒は高砂の純米吟醸。これも富士錦と同じ系統のさらさらのお酒で、上品な料理に良く合う。ここの宿では冷は高砂、燗は富士錦だそうだ。お酒を切子のデキャンタに入れてくれたり(ワインと違って日本酒は空気に触れさせたほうがいいのか悪いのか知らないけれど)、少しだけ世間話などをしてくれたりする(気の利いたバーテンダーくらいのボリューム)心遣いがうれしい。ご飯を食べてから(ご飯もおいしかった)また続きを飲んだ。寝床の枕もとに冷たい水の入ったポットを置いてくれる。この水がまたおいしくて何杯も飲んだ。
 翌日は雨。白糸の滝あたりは雪だろうということだ。富士はお化粧直しのため姿を隠している。昼は宿のお勧めにより「喜八」へそばを食べに行く。混むというので早めの時間帯で。芹そばの温かいの(750円)を頼む。そばとゆでて刻んだ芹のみ。揚玉が添えられている。つゆは最初少し甘めかなとも思ったがこのほうが芹の香りに合うのかもしれない。相席した老紳士は芹そばの冷たいのであった。こちらもそばの上に芹が散らばっている。
 今回のお帰りには身延線の特急「ふじかわ」に乗ってみた。富士から進行方向が逆になり、そのままだと背中が進行方向となって気持ち悪く、シートの向きを変えたいと思うのだが一人だけではかえって迷惑で、結局静岡までの20分ほどを逆のGを浴びながら過ごすこととなる。ちなみに今日は山梨県内が雪でほんの少し遅れが出た。また自由席だったが乗車率は50%といったところで、2人のシートは実質一人席であった。

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