駄文館2002年11月  
    白川公園にて(11月15日) 

「特等席」「車上盗」「優先席」「しし座流星群」「さら湯」「棲家」「中途半端な気分」「公費医療」「一週間」「堀川」「深夜徘徊」「桜紅葉」「松葉杖」「結婚式にて」    

11月28日 特等席

 この前「優先席」のことを書いたが、足が元気なときの「特等席」に今日は往復ありつけた。足は元気だ。バスを追いかけて50m全力疾走したが何事もなかった。だからその後のJRも「特等席」を選んだ。
 昼間の特等席は、運転席のガラスの後ろの席である。シートがなくても「席」であることに変わりはない。ここは「電車でGO」の模範演技を見ながら前方のレールと景色を見ていられるのだ。夜間は車内の照明が邪魔になるのかスクリーンが下りているから、特等席は運転席と反対側になる(車で言えば助手席の後ろか、しかも左ハンドルの)。その位置で私はぐらぐらゲームをしている。バーに止まらず、平衡感覚を養っているというわけである。ただし夜間特等席はガラスに張り付かないと線路が見えないから、ゲームはできない。
 特等席から今日目撃したことのその1。鳩がフロントガラス上部に当たった。ゴツンと音がした。多分、即死だろう。こうやって命を落とす鳥と、交通事故で命を落とす人間とを比べたらどっちが多いのだろうと、ふと思った。
 目撃その2。運転手が駅で停車中に立ち上がって腰を伸ばした。今日始めて気づいたのだが、東海道本線でもコーナーは随所にあり結構な横Gがかかる。また、電車は直線を走っているときでも常態として横揺れを起こしている。それなのに、運転席のシートは相談室の椅子くらいのもので、高さ調節用らしきレバーは付いているが座面は直角だし横のサポートはまったくない。足で踏むペダルはなさそうだから座面はともかく、サイドをサポートする形状でないと疲れるだろう。運転手の疲労軽減は列車運行の安全に結びつくはず。関係者各位、研究されたし。

11月25日  車上盗

 朝、車のドアを開けて異状に気づいた。ティッシュの箱が落ちている。運転席へ座ってまた異状に気づいた。リヤシートに置いてあった袋がない。グローブボックスを開けてみる。なんだか物が少ないような気がする。まただ。この駐車場で4回目。ただし今回はガラスを割られるでもなく、痕跡といえば助手席のドアが半ドアになっていたことくらい。自分の車でなければ車上狙いに遭ったことに気づかないだろう。
 お持ち帰り品。バッグに入っていたもの一式(びりびり・ばりばりになったスーパーマップル中部版、日帰り温泉用の洗濯したタオル、車内昼寝用まくら、保険会社提供の手提げ袋)。リヤゲートの洗車セットの中から半分くらい使った「拭くピカ」、グローブボックスから10年程前に買った車内用携帯トイレ、運転席横から緊急脱出用鋏、サンバイザーから期限切れになったようなチラシ類一式。再調達価格1万8千円ほどだが、鋏と地図がその価格の9割であるし、やたらに古いものばかりである。逆に盗られずにすんだもののうち金目のものは、レビンで使っていたアルミペダルセット、ブースターケーブル(3日前購入)、氷を掻くへら(未開封)、拭くピカ以外の洗車用品(時価3000円くらい)、登山用のストック(新品なら5000円くらい)である。
 これらから類推するに、犯人像は、車に乗り、あまり裕福ではなく、自分で使うものまたは使ってみようと思ったものにしか関心がなく、盗品をさばくことには興味のない人物であると思われる。鋏以外はまあ悔しくはないし、奪っていったものを考えると馬鹿なやつとしか思えないのだが、何となく気分がよろしくない。
 ただ、これで車内に残るは本当に価値のないものばかりになったようで(アルミペダルだけは家に持ち帰った)、またやられても今度は平気という意味ではちょっとすっきりした。ちなみに車検証は盗られると困るので以前からコピーしか車載しないことにしている。

1月22日 優先席

 足をくじいてかれこれ3週間である。いま、出かけるときはスポーツ用のサポーターをしている。しかも普段ほとんど着ないスカートで足首を見せびらかしている。
 バスで席を譲ってもらうためである。ある程度常人に近く歩けるのだが、バスや電車の中で踏ん張ることはまだ足首にさせたくない。ここで再びぐきっとやろうものならこの3週間の努力が水の泡である。
 昨日までは作戦成功、というべきかどうかわからないが、座れた。席が空いていた、という方が正しいかもしれない。が、今日は駄目だった。バスでも地下鉄でも、両足で立っているとまずいので片足で立っていた。誰も気づかない。別に席を譲って欲しいわけではない。大した距離ではないし、本当に席を譲られたりしたら目立って恥ずかしいではないか。しかし、席を譲ることを忘れた日本人が蔓延していることを実感したようで寂しい。
 子供の頃、たまにしか乗らない電車で、席を譲るべき老人が乗ってこないか、停車のたびに緊張したものだ。しかも該当者が現れるとさらに緊張して、どうしたらうまく席を譲れるか思案したものだ。いまでは学習の結果スマートな席の譲り方がある程度身についたが、学習を繰り返さなかった人たちは気持ちだけあっても逆に席を譲るのが苦手な人になっているのかもしれない。その原因の一つは、もしかしたら「シルバーシート」や「優先席」を設けたことではなかろうか。枠があるから後は知らん振り。枠がいっぱいになってもやっぱり知らん振り。
 電車の中で化粧する若い女性がいる。よくもまあこれだけの道具を持ち歩いていることよと感心するが、彼女たちは自分の周りにバリアを張って外界との交渉を遮断しているように見える。シルバーシートに堂々と座る若者も同じだろう。願わくばこれが今の一瞬の世相であらんことを。

11月18日 しし座流星群

 家へ向かう車のヘッドライトの中で落ち葉が円舞していた。しし座の流星群の頃はいつもこうだ。急襲した寒気に震う。
 私がしし座流星群ウォッチングを年中行事に取り入れたのは数年前であるが、めでたく良い夜となったのは昨年である。流星雨。旭高原で、たくさん着込んだ上シュラフに包まり、空を見上げていた。それでも寒くて温かい飲み物が欲しかった。
 最初に出かけた年は毛布を何枚も持っていったのだが、顔に霜が降りてくるのがわかった。去年は別としてほとんど流星が現れないとき、何でこんなことしているのだろうかと考えると、馬鹿らしくもあり、その馬鹿らしさがうれしくもあり。
 今夜は出かけない。大出現は終わった。次のテーマを探さねばならない。

11月16日 さら湯

 2ヶ月ほど前、奥三河の町営らしき温泉に入った。かなりの繁盛で、広い浴場も人だらけである。芋を洗うとまではいかないが、一人で入っているにはちょっと落ち着かない。しかも、塩素の匂いが立ちこめている。室内はプールのようだし、露天でも少しではあるが塩素の匂いが漂い、嫌気がさして烏の行水よろしく数分で引き上げた。
 レジオネラ菌に敏感になるのは致し方ない。が、塩素は嫌だ。皮膚にいいのか悪いのか、訳がわからない。となると、湧出量の豊富な温泉を探すしかない。
 今日書店で「さら湯」の温泉宿のMOOKを立ち読みしてきた。「さら湯」とは、循環していない湧いたそのままの湯のことである。
 さら湯の見分け方、その1。湯船からあふれた湯が、洗い場に流れ出している。
 その2。浴槽の底に排水口がない。つまり1・2は、あふれた湯を再利用していないという意味である。
 その3。温泉水を飲んでもいいようになっている。
 なるほどと思った。ちなみに「さら湯」の温泉宿の紹介もあり、この夏入れていただいた白骨温泉の「小梨の湯 笹屋」も載っていた。ここは、また行きたい宿である。

11月15日 棲家

 市内が紅葉で賑やかになってきた。山に比べたら色は悪いが、都会の紅葉もそれなりに好きだ。桜のイチョウ並木のように黄色いのが並んでいるのもいいし、白川公園のように色とりどりなのもいい。今日は伏見まで行ったのでわざわざ白川公園横を通ってみたのだが、やはり綺麗だった。足元を赤いサルビアで飾っているのも好ましい。
 が、画像をパソコン上で見ると、ややっ、ちゃんと避けたはずだったのに青いシート住宅が立ち並んでいる!今月の初めだったか、ホームレスのための宿舎が完成したはずだったのだが、1泊200円くらいだったか、それくらいでも宿泊費を払えるのはいい方なのだろうか。それとも、彼らには無用のものなのだろうか。 
 この夏沖縄を旅行したとき台風一過の那覇の港を見に行ったら、やせこけた子猫の兄弟が堤防下のプラスチックごみやら木切れやらの打ち寄せられたわずかな陸地に潜んでいた。何者かがこんなところに猫を捨てていったのだと、とっさに思った私は、近くで海を見ていた50代後半と思われる男性に頼んで猫の救出劇を試みた。
 猫の子たちは、ものすごい勢いで一斉に散らばった。少なくとも瀕死の状態ではない。多分一部始終を見ていたであろう釣り人(海岸の橋脚下の住民と思われる)が、あの子たちはここから時々出ていってはえさを拾ってくるさと言った。
 私は余計なおせっかいをしただけだったのだ。ホームレスに対して市がやってることはどうなのだろう。いちばんは雇用の創出だと思うのだが。
 私に代わって猫を助けようとしてくれた男性は、私が旅行者だと知ると、仕事はないですかとすがるように尋ねた。仕事が暇でも住むところのある、暖かいここの方がいいのではないでしょうかと答えた。私の答えは間違っていなかったと、今になって思った。    

11月14日 中途半端な気分

 東急ハンズのクリスマス準備の折り込み広告が入った。昨日、山崎川と植田川の桜紅葉が見頃になっていることを確認した。仕事も暇だ。今ごろが1年でいちばん寂しいような中途半端な気分の季節である。もう少しすれば忘年会の予定と年賀状の手配で忙しくなるし、枯れ木も山の賑わいと割り切って元気にならざるを得ないのだが。
 今夜のお供は飲み残しのワインで作ったスプリッツァ−である。ビールを買いに行けなくて在庫切れ目前のためでもあり、一段と中途半端な味ではある。
 (注)スプリッツァ− 白ワインをソーダで割ったもの。

11月12日 公費医療

 最近のマイブームはマティーニ・オンザロックだ。バーで飲むマティーニも良いが、家で飲むにはちと物足りない(量が)。涼しくなってビールは1杯でいいやという季節になってきたこともあって、最近はこのロックグラスが夜のデスクワークのお供である。家で作るのであるから、しかも自分用であるから、ベルモットとジンを目分量で入れてステアするだけ。まったくのしゃれっ気なしである。
 そのせいかどうかわからないが、先日の健康診断で肝機能に黄信号がついてしまった。10年も前は、前日に飲んでいっても数値に影響しなかったのだが。
 私のFPとしての仕事の一つに、2週間に1本書くコラムがあり、いつもテーマが決まるまで逡巡する。今日は健康診断のことを思いついて、「市民無料健康診断」というキーワードを検索エンジンに入力してみた。なんと、名古屋市内の保健所しか引っかかってこない。この単語は全国共通ではなかったのかと驚き、今度は「公費 健康診断」で検索してみた。結核予防法がらみのものばかりだ。名古屋市では公費医療を来年度から大幅縮小することが決まっているが、これは全国レベルで見れば遅い方だったのかとまた驚いた。福祉の施策を導入するのも遅ければ廃止する方も遅かったのか。
 結局原稿は別のテーマで書いた。いつもこんな具合で、大変効率の悪い執筆仕事である。

11月11日 一週間

 ついに諦めて洗濯をした。着るものに不便を感じてきたからだ。足は、思ったより、どうってことなかった。
 松葉杖の一週間だった。明日の外出からはスリッパを履いていいこととなった。松葉杖は相変わらず使うにしても、腕の負担はずいぶん軽くなるだろう。1.8本足くらいの感じになると思う。足首を固定しているおかげで、どんどん治っているようである。まだくるぶしはない状態だが、親指の筋は現れてきた。あと一週間して内出血の黒いのが消えていったら固定具を外せる。
 松葉杖の使い方は少しうまくなったかもしれない。グリップの握り方とか、振り子の大きさ(歩幅)を調節することとか。家から駐車場までが最初は果てしなく遠かったが、今日は、さほどには感じなかった。
 またこの一週間はHPをアップして最初の一週間でもあった。思いもかけぬ60ヒットで、まあ半分は自分が見たのだけれど、残り半分は15人に知らせただけだから、一応一人2回見てくださったことになる。どうもありがとうございます。

11月9日 堀川

 牛巻あたりで新堀川を渡ったら、水位が高く、流れが感じられた。堀川が流れている! (新堀川と堀川は別物なのだが、私の知る限りでは新堀川に近い住民は新堀川も堀川と呼んでいる。)
 堀川は澱んでいるものだと思っていた。ずいぶん綺麗になったとはいえ、もともと堀留で行き止まりの運河なのだ。
 子供の頃の堀川は、老舎の描いた北京の竜須溝みたいに、あらゆる汚いものが浮かんだり沈んだりしていた。幼い頃、曾祖母の押す籐の乳母車に乗せられて堀川端へ行き、水面に犬の死体が浮いているのを見たような記憶がある。あれは現実だったのかどうか。ちなみに堀川の水質がもっとも悪かったのは昭和40年だそうだから、断片的に残っている私の記憶と合致する。
 運河の流れは潮流によるものだと聞いた。ただ、堀川は江戸時代までは七里の渡しで海に注いでいたはずだが、今では街の中であり、名古屋港まではその等倍ほどの距離を下ることになる。したがって運河の流れを作るのは運河に注がれる水の存在以外には考えられず、それはかつては生活廃水であって、運河の汚濁の原因になっていたはずなのだが、そのあたりのシステムが良くなったのだろうか。
 名古屋の街は川の存在が薄い。東京でも京都でも高山でも小樽でも川が街の景観を作っているのだが。それともこんなふうに思うのは、汚濁しきった堀川を原点で考えてしまう我々の世代だけであろうか。
  (注)牛巻・・・瑞穂区の地名。昔、大蛇が牛を巻いたとか。
     七里の渡し・・・熱田区にあり、公園になっている。
          江戸時代までの海岸線にあり、東海道はここで海路となり、桑名へ渡る。 

11月16日付記 書店で堀川を綺麗にする会(だったかな)の本を見つけたので、ぱらぱら見てみた。堀川浄化のため、ヘドロの除去と、庄内川からの導水をしたとあった。ふむふむ。でも新堀川はどうなっているんだろ。この本、新堀川の方はまったく無視。ま、新堀川の方は歴史がないからねえ。
2月26日追記 新堀川はもともと精進川というものだったそうだ。運河になったのは明治時代。知らなかったなあ。

11月8日 深夜徘徊

 円上のシャンピア(ダイエー系列のショッピングセンター&スポーツ施設)が、姿を消そうとしている。閉店したのは3月末だから、いままで残っていた方が不思議なのかもしれない。
 30年の歴史だ。開店当時、名古屋市内のダイエー店舗としては早い方だったと思う。敷地内にミスタードーナツがあったが、24時間営業がまだ極めて珍しい頃だった。名古屋市内に初めてデニーズがオープンしたのも同じ頃だったか。
 当時中学生だった私は、自転車をこいでわざわざ夜中にミスドに出かけたものだ。夜中の店舗がどんな様子か、ただそれを知ることだけが目的の客である。実態は24時間営業とうたっているくせに、夜中の3時頃になると椅子をひっくり返して店内清掃をしており、事実上営業しているとはいえないような様子だった。客層はやはり怪しげな若者ばかり。なにしろその当時は12時を回って外にいるだけで補導された時代なのだ。それを「深夜徘徊」と呼ぶ。私は何度補導されて、警察署に母に迎えに来てもらったことか!
 数年前、私が補導されたのと同じ年頃になった息子は、夜中に外にいて警察官に出会っても、隠れる必要はなかった。時代が変わったのだ。コンビニと塾。子供が夜中に外にいることが、いまでは普通になってしまった。であれば、我々が昔補導されたことは、一体なんだったのだろう。
 時代が変わり、常識も変わる。日本語文法も変わる。常識が変わるのはなんとも思わないが、それは真実が変わることはないと思うからだ。しかし日本語文法が変わるのは寂しい。それは国民の言葉への注意力が散漫になった結果だとしか思われないからである。
 (注)円上・・・名古屋市昭和区の地名。「えんじょう」と読む。
    デニーズ・・・ファミリーレストラン。当時は何を食べてもまずかったが、唯一「チリポット」は最高においしかった。
    徘徊・・・「はいかい」と読む。うろつくこと。

11月6日 桜紅葉

 天白川の桜紅葉がもうすぐ見られそうな様子だが、いつもあっという間に終わってしまっている。
 桜という木は、年に4度華やぐ。開花前の木全体が少し赤くなるとき、花開くとき、桜蘂(さくらしべ)を降らすとき、そして桜紅葉のとき。いずれもわずか数日しか、その華やぎを見せてくれない。1年の9割以上はその準備期間だ。パスタに人を待たせてはいけないように、桜にも人を待たせてはいけないのだろう。
 私も今充電中。ただしバッテリが壊れていては放電しっぱなしだから、先週、2年ぶりに健康診断を受けてみた。さてチェックの結果やいかに。

11月5日 松葉杖

 松葉杖の一日が終わろうとしている。疲れた。人間は二本足の動物だということを、つくづく実感した。
 その松葉杖も、実際に使うまでは、あれさえ手に入れば楽になれる、と考えていた。かつての夫はしょっちゅう骨折して松葉杖でひょいひょい歩いていたが、そのイメージが脳裡にあった。私でも5歩くらいまではひょいひょい行ける。が、すぐに疲れて駄目だ。上腕二頭筋も三頭筋も今日は過剰疲労で、缶ビールも重いほどである。右足もずいぶん疲れている。松葉杖はどうやら男性のものであるらしい。
 が、これは松葉杖を手に入れるまでの、松葉でない杖を使った影響かもしれない(杖2本をつっかい棒に、よいしょよいしょと跳んでいくところを想像してください)。結論はもう少し使ってみてからにしよう。
 ちなみにお医者の診断は靭帯損傷。当初は折れているに違いないということでレントゲンを撮ったのだが、骨が丈夫だったらしい。疑われた箇所はリスフラン関節の部分。ここの骨折は「下駄履き骨折」と言われ、最近は厚底靴を履いていてやったりするという。 

11月4日 結婚式にて

 足をくじいて歩けず、ケンケンして帰ってきた。こんなにこっぴどくやられたのは数年ぶりか。
 知人の結婚式の帰りである。我が尾張の結婚式の引き出物は大きく重いものが良しとされる。でっかい紙袋を下げて階段を5段ほど下りたところでバランスを崩したのだ。そのまま転倒したほうが良かったかもしれないが、ハイヒールを履いた足首だけで全体重プラス引き出物を支えることと相成ってしまった。階段の、ふかふかのじゅうたんがヒールを捕まえたのが原因だと思う。ヒールの折れた靴を見て、諦めて人に助けを求めた。スリッパでタクシーに乗って帰った。
 3年前に車をつぶして折りたたみ自転車で営業していた頃、私は靴を履き替えた。ヒールのあるものはやめ、スポーツのできるような底を持った靴に限定した。12キロの自転車と、パソコンの入ったかばんの両方を背負って駅の階段を上るのに、そういう靴でないと駄目だと知ったからだ。かといってまったくのスポーツシューズ候というのも客商売である以上気が引ける。せめて皮製でないと。ということで当時は靴選びが大変だったが、最近は世の流れか、選択肢が増えてきて助かっている。しかし今日のようなフォーマルな席ではハイヒールを履かざるを得ない。
 さて、結婚式の話だが、今日は教会式であるので式にも列席した。オルガンの音が心を揺さぶる。急に悲しいことや嬉しかったことを思い出して涙が湧いてきたりしないように、意識をあちこちに跳躍させておかねばならない。ちょっと弱気になっている。こういう気分の時に音楽的な音を聞いて吸い込まれるとヤバイ。昔ギターのライブで涙が止まらなくなったことがある。おまけに賛美歌だ。ただ、自分で歌える分ましかもしれない。
 牧師の声も音楽的だった。結婚式場はそういうキャラクターを選んであるのかもしれない。聖書のあちこちを朗読して、教えを説く。聖書によるとイブはアダムの伴侶として神が作ったものであるから、夫が妻を大切にしなければならないというのは教えとして順当だと思った。聖書は結構ロジカルである。古事記ではどうだったかと、帰宅してからもう茶色くなった文庫を紐解いてみたが、イザナギとイザナミは次々に現れる神々の中に同時に登場してクニを生む。最初失敗作が生まれるが、思想めいたものはここだけで、あっけらかんとしている。仏教やイスラムはどうなのだろう。スッタニパータには世の起源の話はなかったように思うし、コーランは読んだことがない。
 音楽といえば披露宴の余興で沖縄民謡やピアノの連弾があって楽しめたが、出色はホルン(小さいやつ;「何とかホルン」と言っていたが例によって忘れた)とトランペットを演奏された男性。楽器屋さんならではのご趣味かもしれないが、大変カッコいいものであった。