21世紀★万博大学
本文へジャンプ 9月3日 

  

第12回講義

「景観は地域遺伝子〜住んで良し、訪れて良しの国(郷)づくり」

涌井 雅之氏

今回は、大学卒業直前にベンチャー企業を立ち上げ、企業活動を行いながら松蔭大学生命環境工学研究機構の機構長として研究も続けてきた涌井史郎(雅之)氏から「景観」の話を聞いた。氏は2005年日本国際博覧会会場演出総合プロデューサーでもあり、後半は万博会場に盛り込まれた思想なども聞けた。
日本人と景観

 私はランドスケープアーキテクトをやっている。「造園家」とは若干ニュアンスが異なる分野である。
 いま、我々は環境を外側に考えているが、実は我々は環境の内側に存在し、相互に関係し合っている。今日は、見える環境つまり景観がいかに重要であるかを話したい。
 最近高校生を集めてマサイ族とのキャンプを行っている。マサイ族は厳しい環境に生きているが、ライオンにやられないためには、ライオンが獲るに不足しない獲物がなければならない、だから草原に火を入れる。ここに人と環境の関わりの原点がある。環境とは我々の外側にあるものではなく、我々自身がどう生き抜いていくかの問題である。
 ラブロック氏は薄い膜である地球の大気を奇蹟とし、地球は一つの生命体であるというガイア仮説を唱えた。
 地球が誕生してからの46億年を1年にたとえると、科学技術が生まれた300年前は12月31日の除夜の鐘が鳴ってから、年が変わるわずか2秒前のことに過ぎない。が、それが地球環境を脅かしている。
 地球の人口は現在60億。これが2050年には90億になる。発展途上国の乳児死亡率が低下し、南半球に過大な人口をかかえるというストレスになる。
 大連では、大気も経済の代償として汚染される。深浅に見るように経済合理主義は人間を文明のツールにし、自己家畜化した幸福の土壌を奪う。50kmを越えてアメーバのように広がる都市、東京。世界でも珍しいケースだ。「一所懸命」の言葉が示すように、日本人は土地を所有しないと幸せと思えない。それがアメーバのように都市を拡大させた。 しかしこれでは生きる基盤も失いかねない。マウスの素材別飼育箱生存率を見ると、金属製やコンクリート製に比べ、木製飼育箱の生存率が高い。
 文明と経済と人間を考えてみる。人間は文明的な存在である。しかし同時に人間は生物でもある。そこで人間は自分が生物であることと文明的な存在であることとの矛盾を自覚する。ホメオスタシスつまり恒常性のゆがみが生まれる。現在自殺者が3万人から4万人あるが、いかに社会的な問題があるか、心がゆがみはじめているかがわかるだろう。
 ストレス性疾患が増大している。文明は自己家畜化を促進すると言えるのではないか。マズローの欲求ヒエラルキーは、低次の欲求から、生理的欲求、安全への欲求、所属と愛への欲求、承認の欲求、自己実現の欲求へと階層をなすが、これは戦後日本経済と比べてパラレルである。幸福もパラダイムを変化させている。20世紀は文明の世紀、工業化社会であり、幸福=物的充足÷物的欲求 で表された。キーワードは、成長・開発、追いつけ追い越せ、ストレス解消、である。21世紀は、文化・環境の世紀であり、脱工業化社会である。幸福は、時間充足÷自己実現欲求 で計れる。キーワードは、持続的成長、成熟・スロー、癒し、である。

 「景観」は「風土」と「風景」という二つの兄弟を持つ。風景に文化が加わって風土になり、風土に環境が加わって景観になる。景観と風土は心象によって影響し合う。
 景観という言葉は17世紀のドイツのLandschap、風景絵画に発する。それがその後ドイツでLandschaftになり、イギリスでLandscapeになった。景観という訳語は三好学が与えた。ドイツでは資源性、有用性を重視したのに対し、イギリスでは物理的な面を重視した。物理的な映像を心に映じて見るMindscapeが派生する。(筆者注:このあたりは竹内和彦氏の解説に詳しい)
 かつて日本は風景と呼吸した生活を送っていた。漁師は沖で山のシルエットを見て位置を把握した。
 若狭・伊根の舟屋
 滝のような川(富山・黒部川)
 用の美(安曇野のワサビ田) 造園家が作れない理にかなった形
 北山南川(山口・岩国)
 壺中の天(北茨木・谷地田)  冷水を直接田に入れない工夫
 山あて(京都府)
 散居村・防風林(富山)
 垣内・東造り(富山・砺波)
 祖先への想い  出雲散居村・防風林(築地松) 船の帆のような形
 地場材料  長崎・島原
 生活の美・優しさ 能登 雪囲い・雪つり
 美濃あかりアート
江戸時代出島に来ていたオランダ人ケッペルは日本人をこう評した。貧乏ではあるが貧しくない。当時の外国人の間での評価はおおむね同じであった。
 日本人は地域の特性を文化として伝えてきた。ところがいまそれを忘れている。
 ビオトープは都市の中に緑を再生するものだが冷温帯のドイツに適している。日本では虫を増やすだけだ。世界に冠たる日本のビオトープは日本庭園である。メタファーの精華である。

 景観はMindscapeという意味で、地域遺伝子であり、見える環境の総和の指標である。景観の良し悪しは、その地域に活力があるのかないのかを表している。
 ドイツの農村風景は最初からあったのではない。ドイツ農村保護連盟により、ドイツらしさを強調する計画が推し進められた結果である。自宅の50分の1の模型を提出してチェックを受けるのだ。
 アメリカはヨーロッパと違う。銃と血で土地を確保してきたから、コントロールされるのを嫌う。美観は公共の福祉であり、視覚的公害の除去に重点を置く。エンバイロメンタル・ハーモニーである。
 日本は本来ドイツ的であったのにアメリカの考え方が入ってきて混乱している。入れ子、ぼかしは時を超越する。水と緑の循環型の都市は、自然と呼吸し合う。
 座観、見立て、縮景。
 日本列島はガーデン・アイランドである。山、谷、湖、沼・・・アラスカの熊は日本のヒグマの3倍も歩くという。日本には餌が多いのだ。景観密度が高く、多様な生物が生きている。しかし風景が殺されると船瀬俊介氏が言う。風土の特性は我々の中に浸透し、性質・形質を作ってきた。「真土不二」である。

 日本を訪れる観光客数は世界で35位である。アジアの中でも低い方である。万博は観光立国日本の実現の契機となるだろう。第5次全国総合開発計画(ガーデンアイランド構想)以来、国策としてのパラダイムの転換を行った。以後、生物多様性国家戦略、美しい国づくり政策大綱が出され、景観緑三法の制定、観光立国関係閣僚会議も開かれた。
 観光とは、易経にあるが、「国の光を見る」ことである。景観法の枠組みは、伝統建築の保護だけではなく、景観による効果も定める。

愛・地球博では

 万国博は1851年のロンドン博に始まる。当時のロンドンは大気汚染が激しかった。以後博覧会150年の歴史の最初の50年はモノ、次の50年は帝国主義、後の50年は企業力の展示だった。大阪万博では36もの企業館が出展した。
 愛・地球博のテーマはNature's wisdom、自然の叡智である。丘陵地の自然豊かな会場は、環境アセスメントを5年行った。バリューを提唱する万博は世界初である。国・企業・市民社会の3つのエンジンで動かす。
 会場はいくつかのコモンをグローバルループでつなぐ構造である。多様性こそ資源、しかしなにかで一つにまとまる必要がある。たとえば地球環境問題には一つのルールが必要だ。コモンごとに共通の建物を使いつつ多様な形を表現し、最大5%の勾配を持つグローバルループがつなぐ。グローバルループは先進国が発展途上国を支援する構図である。
 企業パビリオンは9つの企業群パビリオンにしぼり、その代わりスポンサーシップ制度によってさまざまな協力をしてもらった。
 会場となった東部丘陵地の過去と現在を見ると、まさにこの地が自然の叡智を表現するにふさわしい土地だということがわかる。明治40年のここは陶土の掘削によりはげ山であった。砂防技術者ホフマンの指導により、自然が自律的に回復したのである。これは今の地球環境を暗示しているように思われる。さまざまなエコ技術も生まれている。
 市民参加、ボランティアは瀬戸会場で具現されている。ここでは市民が運営委員として活躍している。
 長久手日本館、ここから新しい技術が生まれている。
 新交通システムもそうだ。
 新エネルギー供給システム。NEDO。バイオマス。今回の万博は未来実験型万博といわれている。サインやバナーの色が会期の初めの頃と変わったのにお気づきだろうか。それらには生分解性繊維が使われ、185日間で色落ちするように作られている。
 そして「公園は都市の肺」を具現するバイオラング。ラングは肺である。自然と呼吸しあう都市を実現する。整備方針は、自律型の緑化壁である。10mごとにセンサーを入れてあり、気温、炭酸ガス等さまざまなデータを取れるようにしてある。18日のNHKで愛・地球博の2つの成果として、エネルギーとバイオラングを挙げていた。大画面の色に自動反応して光を変えるLEDとミスト発生装置など、メディアウォールとしての新しい試みもなされている。バイオラングは、築地松のイメージである。日本独特の自然と呼吸しあう感覚を表している。それは自然の叡智と言っていい。また、会場の各所にはゲンジボタルとヘイケボタルの中間の周波で光るエキスポ蛍を設置してみた。
 都市緑化は実は京都議定書には入っていない。これを日本館で提案している。万博の会場内にも万博気象台があるが、そこでの気温が36度の時、バイオラングでは実に28度であった。
 ぜひ行ってほしいのが森林体感ゾーン。森の住民モリモに会う気づきの道。この木道では森を上から見ることもできる。
 サツキとメイの家に子供が走る。企業館のバーチャルリアリティではなく、体感が欲しいからだ。
 日本庭園では、すべて愛知県産の材料を使っている。三州瓦、土壁、黄瀬戸の織部、小原の和紙・・・。池では水が渦になって底へ落ちていくが、これは木曽三川を表している。またミストを発生させ、地に潜ったナーガ(竜)が霧となって天に昇る様子を表現した。

 自然と共生する社会の実現に向けて、循環型、共生型のシステムを作っていかねばならない。
 文明的人間像の肥大化と生物的人間像の矮小化が進んでいる。ヘルスプロモーションが必要である。新しい意味での公園緑地の効果は、ここにある。能(能力)・知(知恵)・情(感性)のバランスの上に、意欲や意識がある。かつては「公」が支配的だった。現在は「共」が喪失している。将来は「共」を再構築していかねばならない。自然を愛すること、環境を愛することで景観が保たれる。景観は文明と文化、自然と人間社会のありようを視覚的に表現した地域遺伝子なのだ。
※後半の内容は相鉄瓦版139号にも書かれている。

質疑応答

Q 私は豊田市に住む70歳のおばあさんで、自然が大好きです。 豊田市にはなぜコンクリートの川が多くなったのでしょう。川底が泥ならいいのに。このあいだ川のそばを通ったら子供が泣いているんです。・・・・以下略;えんえんと続く
A おっしゃりたいことはだいたいわかります。国土を作るのに、自然に任せていては幸せになれません。自然とせめぎあって国土を作ってきました。自然との共存のためには西洋型の堤防型の治水工法では駄目です。在来の水勢工法がありました。時間をかけて、呼吸する土木技術を作っていくことが必要です。ただしそのバランスは難しい。

Q 万博へ歩いてくる人がいますが、想定していましたか。
A 歩経路は二つの目的で考えていました。一つは来場が20万人を超えたら交通での来場に支障が出るだろうなという予測、もう一つは、今だから言いますが、東海地震が来たらどうするかでした。これは隠されたテーマでした。

Q 自転車道は考えなかったのですか。
A 藤が丘と香流川のサイクリングロードとにつなぐと自転車ルートができると計画しましたが、検討のみで終わりました。自転車マップは作ってあります。

Q ハリケーンの被害にあったニューオーリンズの例をどう考えますか。
A 日本は美しい国です。それは景観密度が高いということです。しかしそれは同時に、地震や洪水で列島が動いているということです。そういう中に住んでいるから、防災は大きなテーマです。ニューオーリンズの堤防はカミソリ堤防でした。円弧すべりが起こりました。

Q 環境万博を広く楽しませるための工夫は。
A エクスポジション(展示)からエクスピリエンス(体感)へ、をコンセプトとしました。たとえば日本庭園は、カギ穴に教養というカギを入れるとさらに楽しめるしくみになっています。おもしろいと思ったら、どんどん中へ入っていけます。

お断り

この講義ノートは私個人のメモと記憶に頼って書いていますので、間違いや欠落もあるかもしれません。その点をお含みの上お読みくださり、間違い等があればご指摘いただけると幸いです。

(10月2日追記)マルモ出版の「ランドスケープデザイン43号」を買った。35ページに渡る愛地球博の特集記事。涌井氏が総合プロデューサーとして語ったことの詳細は、個々のデザイナーが具現していた。パビリオンの外で目にしたもの・・・ベンチ、ゴミ箱、旗、サイン・・・すべてに思想があった。